最近何かとパクリが話題になることが多いですね、ネットの時代の宿命でしょうか。パクリをすればすぐに発見され騒ぎ立てられるようになりました。時には意図しないパクリ、それは偶然の一致であったりオマージュのつもりであったものでさえ叩かれることもありますが、そもそもパクリってなんでしょう、創作活動において過去の成果を応用することは必然なのかもしれません。
カービー・ファーガソン:リミックスを受け入れよう – YouTube
「リミックス」と創作活動
ボブ・ディランの曲が様々な曲と類似していますが、この時代のミュージシャンたちにとって他の曲を「リミックス」することはあたりまえのことであり、歌詞を変えればメロディーは盗んでもいいという考えさえありました。そして実際彼らはリミックスによって様々な名曲を生み出して行きました。
リミックスとは、既存の曲をばらばらにして変形させてまたくっつける、そして新しい曲をつくり上げることだといいます。
実際すべての曲は既存の曲の変形と組み合わせから生み出されています。つまりすべての創造はリミックスであり、リミックスによって独創性が生まれるということです。
「マルチタッチ」と特許
話は現代へと移ります。
スティーブ・ジョブズはiPhoneにマルチタッチを導入した時、それを革新的な技術だと行って特許を取りAppleのものにしてしまいました。しかし、マルチタッチは別にAppleが自ら生み出したものというわけではありません。本来このような技術はあらゆるデバイスに使われるべきもののはずです。
しかしこういった特許の取り合い、技術の独占をめぐった争いは現代のIT企業に頻繁に見られます。
これは正しい行為なのでしょうか、特許権という足かせによって創造の促進という一番重要な目的を果たせなくなってしまっているのではないでしょうか。
それは新たな創造の土壌を壊してしまっているのではないでしょうか。
1960年台のミュージシャンは創造の基礎はリミックスだということを理解していました。だからお互いに曲を変形させ、それによっていい曲が生まれることを是としていたのです。当時のミュージシャン、ブラインド・ウィリー・マクテルはこう言いました。「私は他人の歌を歌うが、自分なりにアレンジしている。」
それは現代の私達もやっていることです。しかしだからといってそれが独創的でないということにはなりません。
創造は内部からではなく外部から生まれるものなのです。
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