今日のGoogleのDoodleは八木秀次の生誕130週年を記念しています。
八木アンテナは正式には八木・宇田アンテナといい、その特徴は、ラジオやテレビなどの電波を特定の方向から強く受け取ることができ、そのおかげで周囲の電波との干渉を避けることができています。
よく見かけるアンテナは多くがこの八木・宇田アンテナを採用していて、私達がテレビを快適に見ることができるのも、八木アンテナのおかげだということですね
八木アンテナの小話
八木アンテナにはこんな逸話があります。
八木アンテナは発表当時、日本の国内ではほとんど注目されなかった。
むしろ欧米の学会や軍部が八木アンテナに注目したのだった。それは、当時、各国がレーダーの開発に力を入れており高性能なアンテナを必要としていた。そこで八木アンテナの性能が注目されたのである。
第2次世界大戦において日本軍はレーダーの開発に遅れを取ったため苦戦することになるが、日本軍は八木アンテナの存在を知らなかった。
皮肉にも日本軍が八木アンテナの存在を知ったのはイギリスが植民地としていたシンガポールを陥落させた1942年で、見たこともないアンテナがあり、焼却炉に残っていたレーダーの技術資料らしいノートを押収した。
そのノートは日本国内に送られ、兵器本部で調べられた。しかし、文中に出てくる「Yagi」の意味がわからない。どうやらアンテナの種類らしいが専門家でも知っている者がいない。ノートの製作者は捕虜としてシンガポールの収容所にいた。尋問すると、書いた本人は驚き「本当にYagiを知らないのか。Yagiは日本人であり、アンテナの発明者ではないか」とあきれたという。
急遽八木アンテナを使ったレーダー開発に着手するも時すでに遅し
これに驚愕した日本軍部は、ことの重大さに気づき急遽、八木アンテナを使ったレーダーの開発に着手する。しかし時すでに遅く完成したのは昭和20年になってからで、戦争には何の役にも立たたず敗戦を迎えた。
むろん開発者である八木さんは、軍部に出向き情報機器の重要さやアンテナのことについて進言している。だが、当時の軍部は情報機器の重要性をさほど認識していなかったようで、皮肉にも敵国からYagi antennaの存在を教えられる結果となってしまった。
http://www.icom.co.jp/より
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